おじいちゃん2   教会長

 先月に続き、「おじいちゃん」の話をしたいと思います。

 母方のおじいちゃん、山田保次先生は、明治27年に山口県熊毛郡の、小野亀吉、ヨネの三男として生まれました。家に不幸が続いたことから、現在の熊毛郡田布施町にある宿井教会初代、山田重忠先生のもとに、幼い頃から両親とともに参拝していました。小学校卒業後、時計職人として丁稚奉公をし、時計店を開業します。その間も教会に参拝を続け、重忠先生に気に入られて、大正4年2月、二十歳の時に、宿井教会に修行に入ることになりました。当時、宿井教会は船を借り切ってご本部参拝をしていました。その折衝や、船内での参拝者のお世話など、本部参拝に関わるすべてのことを任されていたそうです。

 大正6年、おじいちゃんは現在の金光教学院に入学。翌年卒業し、教師に任命されました。その後、重忠先生の願いを受けて、現在の光市室積(むろずみ)で布教を開始しました。その時期に、宇部市にある、当時の金光教新川教会、立川ツタ先生=「おばあちゃん」と結婚しました。そして大正11年に金光教室積教会を設立しました。

 その頃、宿井教会では、後継の問題がありました。室積での布教が軌道に乗り始めた昭和7年、おじいちゃんは重忠先生の願いのままに、養子縁組を結び、「山田」に改姓しました。そして、おじいちゃんは単身で宿井教会に入り、おばあちゃんが室積教会でご用することになりました。私の母は、その頃生まれており、幼い頃は室積で過ごしました。

 重忠先生は昭和10年にご帰幽になりました。その後、昭和14年におじいちゃんは宿井教会長に就任し、室積教会にいたおばあちゃんや子どもたちと、一緒に暮らせるようになりました。母が小学校に上がる直前のことでした。
 戦後まもない昭和21年1月、おじいちゃんは51才で帰幽しました。おじいちゃん亡きあと、おばあちゃんが宿井教会長としてご用に立ちました。最近、母が「お父さんは本当に優しかった」と話してくれます。おじいちゃんの話を聞いたことがほとんどなかった私は、その一言でとても親しみがわきました。
 母の実家へは、遠距離のため、そうそう何度も行くことがありませんでしたが、たまに行くと、今は亡き伯父が、これでもかというぐらい歓待してくださり、大人になっても宿井へ行くのがとても楽しみでした。今年、宿井教会は開教120年をお迎えします。ここからのさらなる大みかげを蒙っていかれることを祈念しています。



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